Contents
  1. Linux is a Unix. GNU is Not a Unix.
  2. 2
  3. weaving the HTML
      1. 純粋HTML要素系列
  4. WWWにおけるURLの重要性
    1. ユニヴァーサリスト
    2. Frank Lloyd Wright
    3. ライプニッツ モナド論
    4. http://tron.um.u-tokyo.ac.jp/tachibana/first/06minj/vocab.html
      1. 単子論
      2. 予定調和
  5. インターネット物理モデル
  6. 6
  7. インターネットは火につつまれているか?
  8. インタラクティブ・アートは本当に芸術たりえるのか
  9. インターネット物理モデルで目指していたこと
      1. インターネット物理モデルとはなにか
      2. プロジェクトのはじまり
      3. インターネットとは何か?
      4. 物理モデルとして
      5. 完成
      6. IPアドレス長
      7. 再送
      8. 転送速度
  10. 教育とその環境について
  11. Steve Reich "Proverb" remixed by Nobukazu Takemura
      1. http://member.nifty.ne.jp/tsukimura/music/reich.html
  12. モガミ電線 http://www.mogami-wire.co.jp/index.html
    1. NEGLEXの思想 http://www.mogami-wire.co.jp/company/products/neglex.html
      1. オーディオケーブルの謎(B5 版, 128 ページ, 領布価格 1000 円)
  13. VESA規格
      1. VESA規格対応LCD
    1. VESAマウントインターフェイス規格 FPDFMI
    2. VESA FPMPMI
      1. ●●http://www.vesa.org/dload/summary/sumfpmpmi.htm
    3. 液晶ディスプレイスタンド
    4. XGA SXGA UXGA
  14. findvis http://www.asahi-net.or.jp/~yw3t-trns/findvis.htm
  15. toglinfo
      1. GeForce3でのtoglinfoの結果
      2. GL_MAX_TEXTURE_SIZE: 4096
  16. XMLはマーケティング用語である。
  17. Unixマガジン95年11月号(だったかな?)
  18. ブラック・マウンテン・カレッジ
      1. ジョン・ケージ『小鳥たちのために』(青土社)
      2. 湯川秀樹対談集『科学と人間のゆくえ』(講談社文庫)
      3. 『湯川秀樹著作集 別巻 対談・年譜・著作目録』(岩波書店)
      4. マ−ティン・ポ−リ『バックミンスター・フラー』(鹿島出版会)
    1. Black Mountain College
  19. 有限会社フジ印刷 http://www1.ocn.ne.jp/~fpress/
      1. http://www.carrot.to/
  20. Illustrator情報
      1. ●●http://www.linkclub.or.jp/~kubo/
    1. 透明部分を分割
    2. ●●http://www.asahi-net.or.jp/~fz6t-sby/DTP/
    3. Illustrator 透明
      1. ●●http://allabout.co.jp/computer/dtp/closeup/CU20020121A/index_3.htm
  21. プロジェクター スクリーン 素材
      1. プロジェクター スクリーン 布
  22. 人形アニメ、または純粋さの幻影について
  23. RubyからPDF
      1. PDFlib ruby http://www-nh.scphys.kyoto-u.ac.jp/~thitoshi/ruby/
    1. Ruby/ClibPDF http://www2s.biglobe.ne.jp/~Nori/ruby/ja/
    2. PDFlib ClibPDF
      1. http://www2s.biglobe.ne.jp/~t-oni/pdf_link.htm
    3. pstoedit - PostScript and PDF files to editable vector graphics converter.
  24. Illustrator9の謎
      1. 分割を要するアートワークが書類に含まれています
    1. 塗りにオーバープリント
    2. トリムマーク
      1. トンボ トリムマーク
    3. EPSON 印刷品質 スーパーファイン フォト
  25. position absolute
      1. http://www.din.or.jp/~hagi3/JavaScript/JSTips/Probs/width.htm
      2. http://www.microsoft.com/japan/developer/thisWeek/dhtml/kaz990224.asp
    1. IE transition
      1. ●●http://msdn.microsoft.com/library/default.asp?url=/workshop/author/filter/filters.asp
    2. meta http-equiv Page-Enter
      1. http://tohoho.wakusei.ne.jp/wwwxx056.htm
      2. ●●http://www.microsoft.com/japan/developer/library/jpisdk/dhtml/content/filters.htm
    3. redirect metaタグ
      1. http://www.zdnet.co.jp/help/tips/linux/l0397.html
  26. 3D mouse
      1. microstrain
      2. 3DM MicroStrain
    1. Tokin MDP-A3U7
      1. キーをしらべる。
  27. Tokin MDP-A3U7
      1. http://www.tokin.co.jp/product/3dm_mdp.html
      2. ●●http://bw-www.ie.u-ryukyu.ac.jp/~j98034/motion.txt
    1. require win32ole
    2. こんなエラーがでた。なぜに?
  28. GeForce Vanta Linux
    1. Pentium 4 845 Linux
      1. http://www.linuxhardware.org/features/01/11/12/2029218.shtml
    2. PC98-NX MA20V/D Linux
      1. PC98-NX MA20V/D
    3. VPL-PX31 http://www.sony.co.jp/sd/products/Consumer/Peripheral/LCDP/px2131/
      1. VPL-PX30 http://www.sony.co.jp/sd/CorporateCruise/Press/199910/99-1006/
      2. PSS-610 http://homepage2.nifty.com/yutamutsu/hometheater12.htm
      3. SONY VPL-HS1 http://www.sony.co.jp/sd/CorporateCruise/Press/200108/01-0801/
  29. JavaScript
    1. MM_preloadImages
      1. http://www.macromedia.com/support/fireworks/ts/documents/preloads_explained.htm
  30. Apache
      1. ApacheのVirtualHostがうまくいかない。
    1. apacheのVirtualHostで、IPアドレス共有型について考えるべし。
      1. ●●http://snap.shot.cx/ZWiki/NameVirtualHost
      2. http://www.logistech.co.jp/vif/virtual-host-jp.html
      3. http://www.logistech.co.jp/vif/virtual-host-jp.html

0203

Linux is a Unix. GNU is Not a Unix.

Linuxブームというのは、形を変えたUnixブームにすぎない。

もちろんかつてより、UnixというOSの持つ能力は高く評価されてきた。
しかしUnixは非常に不幸な歴史を持っていて、そこに関わる会社という
プレイヤーの無能さによって、本来発揮するべき能力がどんどん削がれて
いってしまった。このときUnixというのは本来持っている能力がうまく
発揮できない状態だった。そのため本来得られていたはずの高い評価が
得られていない状態であった。

そこに登場したのがLinuxである。元々各会社から発売されていたいわゆる
普通のUnixと比べOSとしての基本性能は劣っていたが、だれも排他的なコン
トロールをしない、できないという消極的な意味での特徴が、LinuxをUnix
界の中心的なものとした。ここに、だれもが期待していた単一の信頼にたる
Unixという立場が誕生した。

なぜLinuxが評価されるのかと言えば、それがUnixだからである。
LinuxはUnixであり、Unixが良いからLinuxが良い。その逆ではない。
その意味でLinuxブームはUnixブームの再興であり、まったく新しいものではない。


ブームが起ってしまうと見えなくなってしまうものというのがたくさんある。
Linuxは単なる一Unixにすぎないということは、ある意味当たり前すぎるほど
当たり前のことである。

Linuxが有名になりはじめたころ、だれもが「アレ?」という気持を持ってい
た。なんでLinuxごときで評価されちゃうわけ? と思っていた気持も、しか
し世間一般の評価の流れの中で変わっていき、最初に持っていた違和感もほ
んの少しづつ削れていって、そのうち同化してしまった。


Linuxブームというのはそもそも欺瞞的な言葉である。それはもちろん、
Linuxというkernelだけがブームになっているわけではなく、OS全体として
のLinuxが評価されているからであり、そこで使われているソフトウェアは
大部分がGNUプロジェクトのものだからである。

そう、そのOSは本来GNU/Linuxと呼ぶべきである。
評価の対象とされているのは本質的にはGNUである。
つまりLinuxブームというのは実際のところはGNUブームなのだ。

(FreeBSDの中にもGNU製品は様々な形で深く入りこんではいるが、たしかに
Linux製品における関与の度合と比べればその割合は小さい。
最も重要な部分であるCコンパイラはGNUに依存しているが、
libcは独立しているし、基本的なshell command群も独立している。
その意味ではFreeBSDはGNUから独立していると言ってよい。)

そして当たり前のことであるが忘れてはならないのは、
GNUはUnixではないということだ。
なぜ当たり前と言ったかといえば、GNUはGNU's Not Unixの略だからだ。
GNUはたしかに最初のとっかかりとしてUnixを使用したが、
目指すところはもっと先であった。
その目指すところが何かと言えば、コンピュータのソフトウェアにおいて、
真の意味での自由な環境を実現することである。
それがこの名前の意味するところである。
つまりGNUは、Unixが元々持っていた思想や目標よりも、はるかに先を目指している。

GNUはUnixではない。そしてGNUが良いから、GNU/Linuxが良いのである。

2

情報処理の太田昌孝氏の連載が最終回を迎えた。(皮肉なことにこの連載の
内容はネット上で読むことはできない。) ちょうどインターネット物理モデ
ルの制作にかさなっていたこともあり、最初から非常に興味深く読んでいた。
直接的に参考になった部分も多々あった。インターネットについてはすでに
ほとんど知っているつもりでいたが、この連載ではじめてわかったことも数
多い。例えばIPv6、マルチキャスト、RSVPなどが実際に意味するところ。言
葉面の上で知っていても、それを理解していることにはならない。そして本
当の意味で理解していなくては、それのもつ将来性や個々のレベルの決定の
妥当性を判断できない。何に意味があるのか、何には意味がないのかが、よ
うやくクリアにわかった。

その最終回で論じられていたことは革命についてだった。IT革命とはいった
い何か。それはまさしくいままでに起った革命と同じように、けっして元に
戻れないような不可逆的転換が起る。その結果なにが起るのか。そこにいた
る道筋はすでにある程度見えている。例えば電話は無料になる。出版も無料
になる。放送はすでにほとんど無料になっているが、その規制は無くなる。
それらが起ることにより、著作権を支える土台は崩壊し、実質的に著作権と
いうものは存在しなくなる。

電話が無料になること、出版が無料になることが意味することは大きい。知
識や知恵の連鎖を支える大きな部分であった出版が無料になることは、ある
意味いままで以上に知識の伝播が拡大する世界を意味する。そしてそれより
も、著作権が実質的に存在しなくなることは、いったいどのような社会が来
ることを意味するのだろうか。著作権が存在しなくなれば、人は本を書かな
くなる、音楽を作らなくなる、そう言われてきた。そうだろうか?
著作権が実質的に存在しなくなる社会では、想像力はどのような形で
生き延びることができるのだろうか?


蒸気機関が発明されたことにより産業革命がおこったとよく言われる。しか
しそれは蒸気機関が発明されてすぐではなく、実際にはそれが蒸気機関車や
蒸気船、そして蒸気機関による輪転機の発明に結びついたときに起ったのだ
と考えられる。

同様にIT革命においても、コンピュータの発明そのものではなく、その発明
がルータという形で通信に結びついたことに意味がある。これによっていま
まで別々に存在していた電話、出版、放送などの全てがルータによる通信に
おきかえられ、無料化する。それを推進することがIT革命の本質であり、イ
ンターネットが果すべき役割である。

インターネットが果すべき役割は、ようやくはっきりとわかった。しかし
WWWは? インターネットがインフラとして世界を覆いつくすことは間違いな
いだろう。しかしそこで使われる情報システムはどのようなものになるのか?

私がいままでずっとやってきたことは、インターネットの重要性を訴えつつ、
しかしそれ以上にそこに乗る情報システムの重要性を訴えることだった。
その一つがWWWだった。しかしこれが目的地ではない。

なぜWWWだったのか? WWWを他とまったく違う存在にならしめたのはいったい
なんだったのか? WWWを支え、規定している概念とはいったいなんなのか?
WWWのどこに限界があるのか? そもそも限界はあるのか? その限界を乗り越
えるにはどうすればいいのか? 限界を乗り越えなくてはならないとする理
念的違いがあるとすれば、それはどこに求められるのか?

もちろん私はWWWには限界があると思っている。その限界はWWWの理念にあり、
そこでしか発見しえないだろうと思っている。
その限界はおそらくまずはURLの限界として存在しているに違いない。
そしてその次に、HTTP、HTMLの限界という形に拡大する。

それはおそらく、まずはリアルタイム性に関るものではないかと思う。いま
のURL, HTTP, HTMLは、元々リアルタイムであることを考慮にいれていない。
それを小手先の改良でリアルタイム性を付加してもうまくいかないだろう。
インターネットを介してリアルタイムになんらかの情報を共有することを前
提として、WWW における個々の部分、URL, HTTP, HTMLを順に考え直し、新
なプロトコル、インターフェイスからなるシステムとして具体化する必要が
あるだろう。

しかしあくまでも何度も立ち戻らなくてはいけない点は、WWWとはまずは理
念的な存在であったということだ。その理念的な意味での存在において、リ
アルタイム性を無くてはならない違いとして理念に組み込んでいかなくては
ならない。それがあってはじめて、プロトコル、インターフェイス、システ
ムを作っていけるのだろう。その理念的違いはいったいどこに求められるの
だろうか。


言葉は人を裏切るが、物は裏切らない。
では、そのときの物とはいったいなんなのか。
コンピュータ上のプログラムは物であるのか言葉であるのか。

私がコンピュータ上で何かを作りはじめたときもっとも最初に感じた疑問は、
そのことだった。それは元々、画像を生成するためのプログラムとそれによっ
て生成された画像との関係から考えはじめたことだったが、そのことが内包
する問題はずっと大きく、結局それはコンピュータとはなにかという問題に
通じるものだった。

コンピュータにつきあい続けて翻弄されたのは、よくもわるくも政治に左右
されるコンピュータのあり方だった。コンピュータは実際のところ、単純に
論理を具体化した存在ではなく、我々のこうあってほしいという物の見方や、
こう見られてほしいという人為的な意識のあり方から規定されるものであり、
論理や技術で割り切れる要素からなっているわけではなく、政治的な思惑が
複雑にからみあったものとして存在している。

weaving the HTML

HTML発展の歴史は、論文の表象としての純粋なHTMLに対する異物混入の歴史
だったといえる。HTML発展の歴史を探ることは、つまりタグ発展の歴史をた
どることであり、そこからその背後にあるWebページのありかたへの思想を
探っていくことである。ここでは逆説的に、不純物混入の歴史をいかにポジ
ティブにとらえなおすことができるかということを試みようとしているのである。


実は最初の不純物はaタグだった。そもそも最初から、HTMLは不純物を含ん
でいた。逆に、aタグ以外を考えると、それはごく普通にある文章の性質を
記述する要素群であることがわかる。そこに投入されたaタグこそが、実は
HTMLにおける最初の不純物であり、逆に言えばその瞬間にWWWとしてのHTML
が完成したと言える。

aタグが投入されたことはどのような意味を持つのか。
それはURLという、非常に巨大な不純物が投入されたことを意味する。
TBLが指摘している通り、WWWでもっとも重要な部分はURLである。
URLがなければWWWは成り立たない。
それに比べればHTMLとHTTPは相対的な重要性は低い。

aタグの中では、hrefによってURLを指定する。hrefはHyper Referenceの省
略形である。もともとHTMLが論文を指向していたこと、aタグがそこでいわ
ゆる参照を意図していたことがクリアにわかるだろう。

このaタグが導入された時点で、最初のWWWの姿は完成をみた。


当初より、HTMLにはaタグが存在した。
aタグが導入されるとはどういうことだったのか?

  • URLが導入されたということ。

ここに大きな亀裂がはしった。
URLはHTMLの内部に導入するものとしては特殊な情報である。
なぜならば、それはそのHTMLファイルそのものがどこに存在するのかという
メタなレベルに位置する情報をかかえることになるからだ。
(例えば、「この本は本棚の上から2段目の左から三冊目に置かれている」と
か書かれている本があったらオカシイよね。)

  • #によってページ内をとびまわることや、相対パスでとびまわることは、

なんだかHyperという感じもURLという感じもしない。
絶対URLはどう違うか? まずhttp:というのがつく。
そしてホスト名がつく。ここにはドメイン名がふくまれる。
URLにはいろいろな種類のものが含まれるのだが、
相対URLか絶対URLかは、コンセプト的に大きな違いである。
絶対URLこそが、WWWをWWWたらしめるコンセプトである。

ここで、ドメイン名というのを含んでいる。これが大きい。
TBLも、WWWのあらゆる個所において複数の選択肢を使えるように設計したが、
ドメイン名の部分だけは失敗したと書いている。

また、httpというプロトコル名をも含んでいる。これはつまり、どのように
してそのURLが指す情報を取得するかという方法である。
いまでは省略されることがよくあるが、本来的な意味では、
このhttp:がついていてこそURLである。
つまり理念的には、このhttp:というのが、mailto:とか、tel:とか、
snailmailto:とか、itodenwa:とか、様々に発展いく可能性を示唆している
わけだからだ。

ここに純粋なコンセプトとしてのWWWは、完成を見た。
しかし純粋であるということは、使いものにならないことの別名であることもよくある。


  • imgタグの誕生

画像を内部に位置させることができるようになった。
これは見た目の変更へおよぼす影響は大きかったが、
もっとも最初の時代には、それが理念的に及ぼす影響は小さかった。
なぜかと言えば、論文も、figureという形で図版を引用することが
多々あったからだ。

そして、今では想像もつかないが、imgというタグは、まさしく論文における
図版の引用のような機能にのみ使われていたのだ。

(過去のビデオテープを見ていて、日本で一番最初にWWWがテレビ
画面に出たときの録画をもう一度見てみたことがあったのだが、
そこででてきたMosaicのホームページには、画像がはりこまれて
いなかった。トップページの一番上の部分に画像をはりこむというのは、
ある時期に発生したクリシェであり、なんら必然性のあるものではない。)

つまり、imgタグの存在は理念的にはおかしいものではなく、
ではなくその使い方がおかしいのである。

  • ulにおけるliの先頭の丸のかわり、
  • hrのかわり、
  • ある種のh1のかわり

のような使いかたがされるようになった。
すごく小さいポッチのようなimgが大量につかわれたりするようになったのだ。
これこそ奇妙な変化であった。


  • formタグの誕生

formタグの誕生は非常に重要な事件だった。
ここで、はじめてクライアント側からサーバ側へ情報を返すことが
できるようになった。

たしかに理論的にはaタグだけでもサーバ側へ情報を返すことはできる。
あなたのお名前なんてーの? という質問だとして、まず画面に50音がでてきて、
名前の一文字目を入力する。その次にもまた50音がでてきて、二文字目を入力する。
そのようにして名前を入力することができる…、といってもひらがなだけだけど。
そう考えると、formによる情報入力の手段の提供がいかに重要かわかる。

ここで初めてWWWは使える道具となった。
少なくとも、ピザの注文くらいはできるようになった。

formタグの誕生と、サーバ側におけるCGIの誕生がほとんど同じ時期であっ
たことは、ある意味当たり前のことなのであるが興味深い。それは、WWWに
真の意味で新しい機能をつけくわえるには、クライアント側とサーバ側とで
同時に機能をつけくわえる必要があることを示唆している。


  • styleタグの使用

CSSを使っているということは、非常に重要な違いである。
これは見た目と論理的な構造とを分離しているということ。
過去との互換性も考えて、普通のfontタグとかも同時に使っていることだろう。
しかしstyleタグを使っているということは、見た目と構造の分離、
という理念をおさえているということである。
これは非常に重要である。
ここではじめて、じゃぁ見た目として重要なものはなんなのだろう?
という問いが発生する。そして、それがきちんと考えられていないということが、
ようやくわかってくる。


  • frameタグ、これは謎である。

ある意味、できたからやっちゃったのだと思う。
なんら必然性がなく、つまり有効な使い方が想像できないのに発生した
不思議なタグである。それはある意味、WWWという原理にてらして
有効だからタグを作るという発想ではなく、他のブラウザとの競争原理において、
他よりも有効なものにするために、相対的な優位性を保つために導入された
タグであったように思う。
今にして思えば、つまりこれはNetscape対IEの戦いが、始まりをつげた合図だった。

今にいたるまで、frameの有効な使い方は発見されていない。
つまり今だに単なる謎なタグなのだ。

NetscapeとIEの戦いについて。
IEはHTTPのプロトコルの中で、User-agentの種類を返すのだが、
IEはそこに平気で、Mozillaとかいていた。
それは正気の人間にはとてもできないことである。
自分のプロダクトについた名前に自信があり、そのプロダクトの価値を高めることが
目的なのであれば、これば自殺行為にほかならず、絶対採用しないはずの選択肢である。
にもかかわらず、ここで、動けばよいという選択肢をとったということは、
ここでMicrosoftは、どんな手段を使っても勝てればそれでいいと考えていたことがわかる。

Netscapeには美学がある。IEには美学がない。
そして美学があるものと無いものが戦えば、必ず美学があるものが負ける。
この戦いで、Netscapeが負けることがはっきりわかったのがこの瞬間だった。

私は単なるアンチMicrosoftではない。と、自分では思っている。
というよりも、普通のレベルではない超アンチMicrosoftであると思っている。
私がNetscapeを支持しなかったのも、これではMicrosoftに勝てないことが
明かだったからだ。(それを示唆したのは古川さんで、その意味で古川さんの
言っていたことはまったく正しかった。)


HTMLは、タグが地層のようにつみかさなっていく。
そしてその中身を子細に見ていくと、
JavaScriptという地層において、かつて激しい戦闘が行なわれていたことに気付く。


最初からHTMLに存在し、主に論文の表象として用いられることを目的とした
タグを、純粋HTML要素と呼ぶ。その後、様々な思惑から導入されたタグを、
不純HTML要素と呼ぶ。

純粋HTML要素系列

aタグ
h1, h2, h3, h4, h5, h6
b, i, strong, tt, ...
p, br, pre, ...
ul, ol, li, ...
ほかには?


不純物が大規模に混入しはじめたのは、言うまでもなくMoaicにおいてである。
Mosaicが様々な機能を追加するたびに、ある人は大喜びし、ある人は顔をしかめた。

  • imgタグの導入。画像をはりこむことを可能にした。
  • formタグの導入。これにより、ユーザーからのこみいった反応をサーバに

返すことができるようになった。非常に重要な事件だった。


Netscapeの時代

  • tableタグ。そもそも表組みを意図していたが、ほぼ発生直後より、レイ

アウト機能として使われるようになった。(というか僕が使い初めたんだけど。)

  • font, Netscapeにより導入。
  • blink, 歴史の中に消えていった。
  • bodyへのbgcolor, backgroundなどの指定。
  • frameタグ、画面の分割。複数のhtmlの一画面上での統合。
  • scriptタグ、これによる変化は大きかった。プログラミングを内包してしまった。
  • appletタグ、様々に大きな事件をまきおこした。これもいずれ歴史の中に

消えていってしまうだろう。

  • meta、HTMLデータそれ自身の属性、またはHTTPヘッダーが扱うべき情報な

どをHTML中に入れ込むために使われた。本質的に矛盾を孕んだタグであるこ
とは、当初より指摘されていた。この問題は現在RDFとして発展的に解消さ
れようとしている。→その先にSemantic Webがある。


IEの時代、またはNetscape対IEの時代

  • marquee
  • layer, iframe、実に様々なタグがあらわれては消えた。
  • object
  • styleタグ、これはNetscapeで導入されたんだっけ?

  • applet, embed, objectの内部で行われた活動はさまざまに存在するが、

それは議論の対象としない。

簡単にいって、それらはWWWの対象とするものではない。ある範囲をもった
情報をパッケージ化したものだ。例えば.tar.gzや.exeをWWWからダウンロー
ドすることがある。しかしそれは一般的にはWWWの一部とはみなされないだ
ろう。applet, objectもそれと同じことだ。ある実行ファイルがまとまった
形式で置かれているだけだ。

それがWWWの一部であるように見えるのは、たまたまWebブラウザの内部で実
行されるからだ。しかし本質的にWebブラウザの機能から切り離されている
ことは言うまでもない。


  • CSSタグ、Scriptタグの内部についても同様に議論の対象としないが、

しかし切り離せない部分も存在する。

WWWにおけるURLの重要性

Weaving the Webを読んで、かねてよりWWWに対していだいていた漠然とした
疑問が、ようやくはっきりと見えてきた。昔からWWWには、なんとなく普通
の考え方では説明しきれないような強い意志が背後にあると思っていたのだ
が、その理由ようやくわかった。それは何かというと、WWWは宗教であると
いうことだ。宗教という言葉に語弊があるとすれば、世界中に存在するあり
とあらゆるものを、合理的な意志のものに説明し尽くそうという意志だ。

このことは、Universal Resource Locatorという言葉を聞いた瞬間に、気が
つくべきだった。この言葉が意味するのは、まさしくライプニッツのモナド
論そのものだろう。世界で起こる全ての事象に対して指示子を与える。それ
がこのURLという思想の背景にある。

これを確信したのは、TBL自身のユニヴァーサリストとしての信仰を告白し
ている部分だ。ユニヴァーサリストは簡単にはキリスト教の一宗派だが、
どの宗教であれ良い部分があればそれを取り込むといった柔軟な思想がある。
それがこのWWWにつながっていることは明白だろう。


URLが含めなかった大きな問題は、時間についてである。URLがもともと本質
的に目指そうとしたことを考えれば、それが過去も未来をも指示しつくそう
としていたはずだ。

つまりあるサーバのある文章に対して、その文章がどのような変更の
歴史をたどってきたのか、それがたどれるようになっているべきだ。
例えば、最初はversion 1.0としてスタートするとして、
それが書き変えられるごとに+0.1していくと。
http://eto.com/index.html+1.0
http://eto.com/index.html+1.1
というように、過去への参照が同時にできると。
それ以外に例えば、
http://eto.com/index.html+20020309143600
などという指定の仕方も考えられるだろう。

これが技術的に困難だったことはたしかにその通り。しかしURLとは何かを
根源にさかのぼって考えれば、当然含まれていてしかるべき仕様だと考えられる。

ユニヴァーサリスト

http://member.nifty.ne.jp/ryp/kurihon/kurihon03.htm
http://www.uunashua.org/100quest.html
http://member.nifty.ne.jp/ryp/kurihon/kurihon11.htm
http://www.uua.org/

Frank Lloyd Wright

http://www.franklloydwright.org/02FLLW/chrono.html
UNITY TEMPLE http://oprf.com/unity/index.html
the Unitarian Universalist Congregation.


http://www.uca.co.jp/TABI3.htm
マジソン ユニタリアン教会

ライプニッツ モナド論

http://www1.odn.ne.jp/~cak69050/mmonad.html
http://www.iwanami.co.jp/shiso/0930/shiso.html
http://www2u.biglobe.ne.jp/~pengin-c/monado.htm
http://www5a.biglobe.ne.jp/~gegebo/leibniz.htm

http://tron.um.u-tokyo.ac.jp/tachibana/first/06minj/vocab.html

単子論

THE MONADOLOGY http://www.rbjones.com/rbjpub/philos/classics/leibniz/monad.htm
Gottfried Wilhelm Leibniz. The Mondalogy. This is a gopher text
essay. This Web Page by mjohnson@hamilton.edu for The Arthur Levitt
Center of Hamilton..
http://150.209.19.230/LevittHome/Soc_sciences/Philosophy/leibnitz.html

予定調和

インターネット物理モデル

インターネットの構造を説明されるとき、まずOSI7階層モデルが参照される。
これは非常に誤解を招く説明だ。なぜならば、実際にインターネットが発明
された時点で、このような参照モデルがあったわけではないからだ。
しかしふりかえってみたときの説明のためのモデルとしては非常に有効であ
るので、ここではその階層構造を説明に使う。

まず下から見ていくと、物理層がある。ここは一般的にethernetである。し
かしシリアル接続だけからなるインターネットを想定することもできる。実
際世界最初のARPANETにおける接続方式とはそのようなものだった。他に
TokenRingだけからなるインターネットを想定することもできる。つまり
ethernetはインターネットではない。

今度は逆に上から見ていこう。アプリケーション層。メールやWWWがインター
ネットなわけではない。インターネットは使ってるけどftpしか使ってない
人というのも想定できるし、DNSが嫌いだからIPアドレス直打ちしかしない
という人もいるかもしれない。

ではTCPはどうか? これは非常に難しい決断だった。結論としては、TCPはイ
ンターネットではない。つまりインターネットそれ自体と、そこに付随する
TCPとを切り離して考えることができる。ここに大きな切断面が生まれる。

インターネットとは、the Internetとそこにつながる端末の集積からなる。
この分離は重要である。これはエンド・ツー・エンド原則を考えてみると
わかってくる。the Internetはがんばらない。両端ががんばる。
the Internetは信頼性を保障しないが、両端ががんばることによって、
信頼性が生まれる。

TCPの重要性を過小評価しているように聞こえるかもしれないが、実際は逆
であることがわかるだろう。つまりIPのレベルにおける改良は、もちろん個々の
端末にもIPスタックが存在しているのだが、ルータ間の通信に関しては
関与していないし、できない。

しかしTCPのスタックに関しては、これは個々の端末ごとに存在するもので
あり、それこそが、the Internetを信頼性ある存在にならしめているもので
ある。ルータ間接続のIPに関しては、自分が気付かない間に改良が進んでい
くということがありうる。しかし、TCPに関してはそれはない。個々の端末
に存在するTCPのスタックがどのようなアルゴリズムかは、そこで実際に信
頼性がある通信を実現し、その際のネットワーク使用効率を規定するもので
あり、非常に重要なファクターなのだ。そしてそれは、各端末がそれぞれに
TCPの存在意義をケアしてやらなくてはならない。これが、the Internetと
それにぶらさがる端末との分離を考えることの重要性である。

ちょっとだけインターネットを知ってる人にとっては、逆にものすごく難し
い概念であるかもしれない。「インターネットはTCP/IP」と呪文のように覚
えこまされていたはずだ。しかしTCPとIPの間には大きな切断面がある。そ
れを理解しなければインターネットの本質を理解したことにはならない。

ここでインターネットの世界を三つに分類できたことになる。
IP層の上のアプリケーション層としてのTCP、メール、WWWと、
IP層の下の物理層としてのethernet、PPPと、
IP層そのものと。このIP層そのものこそがインターネットなのである。

6

芸術とは本質的にポジティブなものである。なにかに対するアンチとして機
能すべく考えられたものだとしても、そもそもなにかが無いということを直
感的な形式で表わすことはできない。「〜ではない」という表現が可能なの
は、それが言葉で表わされるからであり、一般的にそれ以外の形式では
あらわすことはできないのだ。

  • グレゴリー・ベイトソンと娘との会話。例えば犬がある表情を見せること

がある。場面によって鳴き声にもいろいろな種類がある。それは、ある意味
犬の言葉であると言っていいのだろうか? 言葉であるのか、ないのか。言
葉とはいったいなんなのだろうか。人間が使う言葉の特性は、否定形を使う
ことができるということである。「ここにはリンゴがない」というように。

芸術における表現では、否定形を用いることができない。否定形を使ってい
るかのように見える作品もたしかにある。例えばジョセフ・コスースの作品。
ある文章が美術館の内部にはりめぐらされていて、その文章の内容を打ち消
すかのように太く黒い線で上書きされている。しかしもちろんそれは単なる
否定形ではない。まずどの文章を選んだのか。美術館の内部にはりめぐらさ
れたとして、それを建築の内部にどのように配置したのか。太く黒い線で打
ち消すとして、その線の太さはどのくらいにするか。文字の端がどのくらい
はみでるようにするのか。そしてなによりも、その文字どのフォントで表現
するか。こういったことが、実はこの作品の本質なのである。

インターネットは火につつまれているか?

フーコーは、図書館は火につつまれていると記した。
でははたして、インターネットは火につつまれているか?
すぐにかんがえると、ハイパーリンク構造にかこまれたWWWは、
まさしく火につつまれているようにおもえる。
しかし実際のところ事態は逆であるように思うのだ。

その前に、図書館は火につつまれているとはどのようなことか。
アレクサンドリアの大図書館が火につつまれている。
そのようなエピソードが頭にうかぶかもしれない。
そういった意味ではない。
ここで火につつまれていると言ったのは比喩的な意味だ。

そもそも文学の出発点は他の文学への参照構造からなりたっている。
彼はこれをフローベールの誘惑を読みとくことから説明していった。
誘惑には多種多様な怪物があらわれる。それはまるで想像の産物というふうに
見えるのだが、実は全て他の神話などにでてくる怪物への参照からなっている。
このように、一見想像の産物としか思えないような小説でさえ、
実は全てが他への参照構造からなっているということを明らかにした。

図書館にある一冊の本は、まるで静的な文字の並んだもののように見える。
しかしそこに書き記されていることは他の様々な書籍への参照であり、
参照そのものからなりたっている。例えばこのような姿を想像してみよう。
図書館にある一冊の本から、参照されているある別の本への参照という
つながりが、一筋の光によって目に見えるようになっていると想像してみよう。

たった一冊の本でさえ、他の多くの本への参照を持つ。
そしてその参照された他の本も、またさらに多くの本への参照をもつ。
はじめはたった一冊ではじまったつながりの出発点も、その連鎖も構造を
たどるつれて、圧倒的に大量な連鎖の集積からなっていることが想像がつくだろう。

ある一つのつながりが、ほんの弱い光でつながっていたとしても、
それらの書籍の間のつながり全てを目に見えるようにしたら、
その全体はまさしくまばゆく輝くばかりのものすごく明るい光の集積と
なって目に入るだろう。

またはこのような想像をしてみよう。
図書館でだれかが本を一冊ひらくたびに、その書籍からはじまった他の本への参照が、
光の筋として図書館の中をかけめぐる。そしてその書籍から次の書物へと、
参照から参照をたどり、光はとびちっていく。
図書館の中を、大量の光が常にめまぐるしく動きまわる様子を想像できるだろう。

フーコーはその姿を称して言ったのだった。
「図書館は火につつまれている」と。

はたしてインターネットは火につつまれているのか?
なるほどWWWは、他へのリンクからなる参照構造からできている。
その総体としてのWWWはまさしく参照からなる構造であると考えることもできる。
しかしその構造を子細に見ていくと、逆説に気付く。
Webページはリンクにより他のページへとつながるが、
逆に言えば明示されたリンクが存在していない場合は、
そこはつながらない、つながりようがないということなのだ。

文学においては、通常そのリンクは明示されていない。この明示されてい
ないということは、逆に考えれば全ての言葉はリンクでできていると言って
もいいということだ。ある言葉を聞きそこからまた別の言葉を思いうかべる。
このような読む人の頭の中で発生するような参照構造が、全てリンクとして
機能する。

そのリンクの対象となるものも、多種多様なものになりうる。一つの言葉が
一つの参照にだけ対応しているということはない。ある一つの言葉が様々な
ものを一挙に参照してしまうということもある。

WWWにおけるリンクとは、文章中のある部分に対して、一つのリンクを
付与するものである。ある一つの部分が多数の参照を持つことはできない。
リンク構造が多層化していることもできない。

つまりWWWのハイパーリンクは全然ハイパーじゃない。どちらかと言えば、
ユニリンク(単一の連鎖)という名前に改称したほうがいいんじゃないか。

このような視点もある。
たしかにリンクという構造は現在はあまりにも弱い。
しかし粗結合ではあれ、地球全体がつつまれているところがよいところであると。
たしかにそれはいえている。地理的関係をのりこえられること。
リアルタイムにつながること。

地球全体が結合している? まさか。
私がインターネットの様々な姿を見ていてわかったことは、
世界にはインターネットでつながることを想像すらできないところがたくさんあり、
というより実際はほとんどがまだインターネットにはつながっていないということだ。

とはいえ実はまったくそこが切断されているわけではなく、インターネットでは
検知できないような方法でつながっている。それをのりこえるにはインターネットの
今の機能ではまったく足りないのだ。

文学とは本質的にインタラクティブなものである。残念ながら、WWWは、
またインターネットは、まだまだインタラクティブというには足りない。

インタラクティブ・アートは本当に芸術たりえるのか

インタラクティブ・アートは、観客の反応によって作品が変化する。
それはつまり、観客次第で作品の出来がかわってしまうということである。
だいたいにおいて観客はその作品についてよくわかっているわけではないので、
常にすばらしい反応をすることは期待できない。
このように作品の完成を観客にゆだねてしまっているということは、
インタラクティブアートには本質的に高い完成度を期待できないということである。

ある意味これは、ありがちなインタラクティブ・アート批判であるように
聞こえるかもしれない。しかしこれは坂根厳夫の言葉である。坂根厳夫は間
違いなく日本で一番多く、そして長く、インタラクティブ・アートを見続け
てきている人物である。その彼が、よく言っていたことである。

私は大学で彼の授業を受けていた。私はそのころからずっとメディア・アー
トに興味があったので、授業の他にもいろいろと知識をしいれていた。たま
に授業で先生が言っていることの間違いに気付いたりするのだった。私は授
業が終るたびに先生のとこにいって「先生、今日の授業で言ってたアレとコ
レですけど、本当はこうですよ。」など言ったりしていた。先生は私がこう
言うと、ああそうかいと、にやにやしながら聞いていたように思う。その後
私は授業の手伝いをするようになり、話を聞く機会は増え、展覧会に御一緒
したりするようになった。

話を聞くにつれて、この人は本当になんでもかんでも見てきているんだと思
うようになった。そして、なんでもかんでも見てきていることがいかに大切
なことかが、だんだんわかるようになってきた。たとえばなにか新しい作品
を見て、「ああこれは70年代の○○万博の○○館で使っていたのと同じ技術
ですね」と一言、それで終りだったりするのだ。

インタラクティブ・アート批判も、彼が常々いっていたことである。
インタラクティブ・アートはそもそも完成度が低い、
そしておそらく通常の芸術と同じような完成度を達成することは無いだろう、と。
これはある意味、これ以上は無いくらいに痛烈な批判である。

たしかに彼の言う通り、完成度を上げることには本質的な困難がある。
しかしそれをそのまま認めるのもしゃくだし、私はそうは思わなかった。

不可能ではないと思っている。単にいままでだれもできなかっただけだ。い
つの日かインタラクティブ・アートが芸術以外のなにものでもないような完
成度を達成することがあるに違いないと。しかしそうは考えてみたものの、
それを達成するのがいかに困難かを想像するだけで、気が遠くなってくる。

芸術でしかありえないような、そんなインタラクティブ・アート作品が
生まれるのは、いったいいつの日になるのだろうか。

インターネット物理モデルで目指していたこと

インターネット物理モデルとはなにか

この展示は、いろいろな角度からとらえることができる。

  • 比喩的な意味でインターネットを説明したものである。
  • インターネットの個々の機能を説明したものである。
  • 実際にインターネットと同じような原理で動くものである。

しかしふりかえって考えてみると、本質的な意味で目指していたのは、
「本当の意味で何かを理解させるということ」ということだと思う。

この展示物を見た子供が興味を持って、将来ネットワークの研究をこころざ
すようになるかもしれない。産業政策的にはそれは非常に重要なことで、科
学館の一つの役割はそこにあるのだが、しかしそれだけを目指しているわけ
ではなかった。この展示を見て、将来ネットワークの研究を目指してもいい、
目指さなくてもいい。そのような小さな対象を扱っていたわけではない。

「本当に意味での理解とはなにか」というのはとても難しい問題だ。

  • それは形式的な方法では測定不可能である。

言葉によって説明すればそれが伝わるだろうと考えることは、ものすごく楽
なことである。インターネット物理モデルを見て、わかりにくいと思われる
ことが多い。しかしそのどこにわかりにくい部分があるのだろうかというこ
とを考えていくと、実はもっともわかりにくいのは「わからない部分が一つ
もない」ということではないか。

パケットが作られ、そのパケットが相手の端末に送り届けられるまでの間中、
そのボールはずっと目に見えている。ボールがまったく見えなくなってしま
うような瞬間は一つもない。全ての動作はずっと目に見えているようにデザ
インしたのである。逆にそこにしか真実はない。それが何かという説明の言
葉を書き添えなかったのは、「説明の言葉」そのものは真実ではないからだ。

言葉で「インターネットというのは○○からできている」と伝えると、よく
わかったような気になれるかもしれない。例えば、発明した人の名前、その
年号、どのような目的で作られ、どのような仕組みで動いているのか、そう
いったことを言葉で伝えるのであれば、作る側からしてもこれほど楽はこと
はない。そして、わかったような気になるためにもこれほど楽なことはない。
しかし「本当の意味での理解」というのは、ここに存在しているのだろうか?

インターネットの誕生という、ある時点におこったイベントから、人の名前
や年号をとりさり、そこで発明された事象それ自体のみをとりあつかう。
そのようなことはできるのか?

実際のところ、この展示物で伝えようとしている内容はものすごく難しいと
思う。おおそらく、自分で実際にIPスタックを実装したことがあるぐらいで
ないと、この展示物が意図しているところはすぐには理解できないだろう。
逆に、それなりにインターネットについての知識がある人ほど、この展示物
には違和感を覚えるはずだ。もちろんその違和感こそが、実際に伝えたいと
思って意図したものである。

プロジェクトのはじまり

このプロジェクトは村井純より、インターネットについての展示物を依頼さ
れたところからはじまる。

当初より議論していたことは、「本当の意味での理解とはなにか」というこ
とだった。例えばインターネットをささえる様々な仕組みについて、各々に
ついてマルチメディアコンテンツを作ってそれを図示し、伝えるという方法
が考えられる。また、単に映像を見るだけではなく、そこにインタラクティ
ブな仕掛けを用意して、楽しめるようにすることも考えられる。

しかしこのような展示案は早々に消えていった。マルチメディアコンテンツ
で伝えられる何かならば、それはCD-ROMでもインターネットでも伝えられる。
展示物として、本当の意味でインターネットとは何かを伝えるにはこの方法
は採用できない。それを伝えるためには、本当にインターネットと同様に機
能するモデルを作るしかないと。

実は途中の段階ではもっと違う案がでていた。電気的な仕組みでパケットの
流れを表現して、それでインターネットを模したモデルを作る。それはそれ
で面白そうだし、やれば出来そうだ。ということでプランは進んでいったの
だが、途中で、やっぱり物理モデルで行こう、ということになった。

この決定にいたったのには杉原君が作ってきたモデルが大きく影響している。
アドレスの一致判定をする仕組みを、玉とその移動だけで実現するものだっ
た。実際アドレスの一致判定が物理的に行えるのであれば、たしかにインター
ネット全体も実現できるだろう。ということで、物理モデルを制作するとい
うことで、方針は確定した。

私は内心、これはやばいかもしれないと思っていた。なんといっても館のオー
プンまでに後8ヶ月もなかったのだ。後で修羅場を迎えることは、容易に
予想がついた。

私達に声がかかった時点で、すでにオープンまで10ヶ月は切っていた。もち
ろん科学館全体のプロジェクトはもっとずっと前からスタートしていた。し
ていたのだが、例によってこういうものは面倒なものほど話は後回しになり、
ぎりぎりまで話は決まらず、そしてようやく外部に話がほうりだされたとき
には、残り時間はあとわずかということになっているものである。どうせ最
後になって外にほうりだすなら、もっと早くそうしてくれよと思う。

ということで私達は、マルチメディアコンテンツをいくつか作るんだろう、
ぐらいの予算の中で、物理モデルを作っていく道を探ることになった。

インターネットとは何か?

もっとも最初につきあたった一番大きな問題は、
「インターネットとは何か?」ということだった。

これについてスパッと答えをみつけるのは非常に難しかった。今現在見るイ
ンターネットの姿からは、そこで実際に使っているときの印象や、普段使う
方法などが目にはいり、そのうちのある部分は歴史的な事情で恣意的に決まっ
たもので(例えばIPアドレスが32bitとか)、しかしある部分はインターネッ
トがインターネットであることに本質的に内在するとりのぞけない特徴であ
ると。

つまりどこからどこまでがインターネットであり、どこからどこまでがイン
ターネットではないのかと。それを順番に考えていくことであった。

通常インターネットとはという説明がなされるとき、OSI7階層モデルが参照
される。しかしこれほど欺瞞的な説明はないだろう。あたりまえのことであ
るが、インターネットが(正確にはARPANETが)、発明されたときにはOSI7階
層モデルなんてものは存在していなかった。(当たり前のことほど、後から
ふりかえると見えなくなる。それをみつけだす作業が決定的に重要であった。)
しかし後からふりかえって考えてみるには参考になるモデルだ。

インターネットが発明された時点にふりかえって、そのときそれを発明した
人の頭の中になった姿を想像する。その中から、現在まで生き残っているイ
ンターネットの本質的な要素を探りだし、それをとりだす。

まず下から行くと、ethernetはインターネットではない。これはP2P接続(例
えばシリアル接続)だけからなるインターネットを想定してみればよい。実
際一番最初のARPANETとは実質的にそのような姿であった。また他の見方で
は、TokenRingだけからなるインターネットを想定してみればよい。もちろ
ん想像しがたいことはよくわかるが、不可能ではないことがわかるだろう。
つまりethenetはインターネットの一部ではない。

そして上から見ていくと、当たり前だがWebやメールはインターネットではない。
アプリケーション層は除かれる。

ではTCPはどうか? IPは? ここは一つの決断だった。TCPはインターネットで
はない。これが我々が出した結論だった。ここで言わんとしていることは、
つまりTCPはアプリケーション層で実装してもよいということだ。実際太田
昌孝氏は情報処理の連載の中で、同じことを言っている。

ここでようやく確信できた。IPをモデル化する。それ以外は一切不要である。
大きな方針は固まった。

物理モデルとして

物理的な機構で動くモデルとして情報の流れを表現することは、当然である
が世界初の試みである。だからすごいだろ、と言いたいわけではない。それ
はつまり参考にできる前例が一つもなかったということだ。

議論して一つ一つ可能性を検討していけば、正解たどりつけるに違いない。
このようにして一つ一つ、考えられる全ての可能性を考えて、検討していった。
でもなんとなく正解に思えるようなことも実は正解じゃないことがある。
結論は二転三転し、全てギリギリのタイミングで決断していった。

物理的な機構としての情報伝達の仕組みを考えるのは、非常に大変だった。
しかしそれだけではなくもう一つの大きな要素は、単に動く仕組みを作るだ
けでは不十分で、それが展示物として置かれたときに「本当の意味での理解」
につながらなくてはならないということだ。

これはつまり、インターネットとは何かという原理的な考察と、物理的な意
味での機構と、それを見たときに観客の中で起る心の反応とを全て同時に考
え続けることであった。

単に物理的な機構として動けばいいだろうとわりきることができるのであれ
ば、それはそれほど大変なことではなかった。単に下請けにまかせることも
できたはずだ。

当たり前であるが展示物として機能するということは、美的な側面も常に満
足させなくてはならないということだった。ここで作ったものは、普通に考
えれば到底不可能なスケジュールで作られたものであるが、しかし見た目と
しては、「作るのに死ぬほど苦労した」というような見た目にはなっていな
いと思う。それはまさしく意図していたことであり、出来上がった姿を見て
かなりほっとした。

その大変な作業の中では、私はどちらかというと見ていただけであり、その
中では主にインターネットとは何かという部分をずっと考えていた。
実際のところ、この作品制作において、私が直接的に果した役割は(私の主
観では)そんなに大きくない。むしろずっと横で見ていただけという印象
である。プロジェクトの中ではずっと遊撃手のような立場で参加していた。
それが結果的には良かったと思う。プロジェクトが佳境にさしかかり、
全ての作業が加速度的に忙がしくなって仕事がすすまなくなり始めたとき、
私の手があいていたから、こぼれた玉を拾っていくことができた。
もし私に最初から仕事がわりあてられていたとしたら、たぶん時間切れになっ
ていただろう。

システムを制御するプログラムはすでにできていたのだが、それを使うため
の機能がどうしてもうまく動かず、別の方式を採用せざるをえなかった。
そのため、最後の最後になって私が制御プログラムを書くことになった。
もしRubyが無かったら、絶対に間に合っていなかった。それは確実である。

完成

もちろん完成してはじめてわかった面も多々ある。だいたいは計算通りだっ
たが、いくつか予想できてなかった面もある。

最終的には、これはワークショップを行うことで展示としては完成するだろ
うと考えていた。当初の狙い通り、これは体験して初めてわかる展示であり、
それを自ら行うこともできる人もいるが、ナビゲーションがあって初めて
できる人もいるだろう。

具体的にはTCPの動作を実際に自分で行うというワークショップを考えていた。
これを行うことで初めて、「インターネットはがんばらない、両端ががんばる」
という思想が理解できるようになるだろう。
またそこまでいかなくても、TCPの動作を自分で行ってみるための手引きの
ようなフライヤーを作るのもよいだろう。
ワークショップやフライヤーはぜひ実現したいのだが、実現させるためには
予算的な面を含めたスキームを探っていく必要があるだろう。

IPアドレス長

ここではホストアドレス(IPアドレス)が8bitとしている。
「本当のインターネットは32bitで、IPv6では128bitになろうとしているのに、
8bitしか無いなんてだめじゃん」と思う人もいる。
しかし、本当のインターネットとは一体なんだろうか?
なぜ32bitのIPアドレスが、本当のインターネットのIPアドレスだと言えるのだろうか。
現在32bitのIPアドレスが、将来128bitの長さになるというのなら、
実はその逆に、現在32bitのIPアドレスが、過去にはもっと短いアドレスだった
ことがあるのかもしれない、そういう風に考えてみることはできないだろうか。
将来128bitのIPアドレスが一般的になったとき、
「32bitしか長さがないIPアドレスなんて本当のインターネットじゃないじゃん。」
と言われたらどう思う?

実際、考えてみれば当たり前のことなのだが、最初からアドレス長が32bit
だったわけではない。最初のARPANETの実装ではアドレス長は13bitだった。
たしかに8bitよりは長いが、そんなに変わらない。
ここで重要なのは、このアドレス長が13bitだった時点においても、
ネットワークアドレスとホストアドレスが分離されていたということだ。
つまりアドレス長そのものは問題ではなく、ネットワークアドレスとホスト
アドレスとに分割されていることこそが、IPアドレスの持つ本質なのだ。

再送

途中でコリジョンをおこして破棄されたパケットは自動的には再送されない。
ちょっとインターネットを知っている人にとっては、
「なんで再送がないんだ? 全然ダメじゃん。」という感想を持つかもしれない。

しかし実際は逆なのである。インターネットに再送があるように見えるのは、
実は両端ががんばっているからである。それはTCPというアプリケーション
層の役割であり、インターネットそれ自身の仕組みではない。
実はインターネットには、再送がないってことこそが重要な伝えたかったポ
イントだった。

たしかに観客の視点からすると、「物理的なモデルだから実現できなかった
んだろう」という想像が働くので、それを伝えるのはたしかに難しい。
どこからどこまでが物理的な制約ゆえに実現されなかったのか、どこから先
は意図的なデザインなのかが容易には分離できないからだろう。

やはりもう一押しが必要だったのだと思う。それも含めて物理的な機構とし
て実現するのは原理的に不可能なので、展示物を解説したフライヤーをして
作るというのがよかったはずだと思う。

転送速度

実際のところ転送速度については読みきれなかった。しかし実際に意図して
いたことは、コリジョンが発生するようにすること、であった。
コリジョンされたらパケットは消失する。そのパケットは自動的には再送さ
れない。これが伝えたかったことだ。

当初提出村井純にプランを提出し、ミーティングを進めていったことから
決定していた様々な事項がある。

  • ネットワークのネットワークであることが重要。
  • パケットが渋滞を起して捨てられることがあるというのが重要。
  • そしてそのときに、自動的には再送されないということが重要。

もちろん他にも様々なリクエストはあったが、残念ながら実現できなかった
ものも多かった。例えばマルチキャストの実装。これは玉を複製するメカニ
ズムがあまりに大がかりになるという理由もあるが、それ以上に、玉が複製
されるということは電子的な信号が複数個所に同時に伝わることの表象とし
ては適切ではないという理由が大きかった。そういった制約は、もちろん
ものすごくたくさんあった。

(未完)

教育とその環境について

私は昨年度一年間、多摩美術大学情報デザイン学科にて、週一日の授業を担
当した。そこで教えている間ずっと考えていたことは、教育における教師の
役割とはなにか、ということだった。

教師が教えるべきこととは何か。それは本質的には「自由とは何か」を教え
ることである。しかしその、「自由とは何か」を教えるにはどのようにすれ
ばよいのか? それはなかなかわからなかった。

私はその過程で、モンテッソーリ教育について知った。まず本を読んで興味
を持ったのだが、実際に行っている現場は非常に興味深かった。

教師の役割とはなんなのだろうか。教師の役割は、そこでじっと見ているこ
と。手助けが必要なことは手助けをすること。そして自分自身でやるべきこ
とができるような環境をととのえること、である。

環境をととのえることが教育の役割で、その中でなにをやるかは自分自身で
選ぶことであり、そしてそれをどこまでやるのか、どこまでやれば、それを
達成したとみなせるかは自分自身で決定することである。

これは教師の役割を小さく評価しているかのように聞こえるかもしれない。
ある意味、環境さえととのえればあとは放っておいてよいので、すごく楽を
しているようにも聞こえる。しかし現場で実際にそれを行っている様子を見
ていれば、それはまったく逆であることはすぐにわかる。

各々の子供がなにを考え、なにをしようとしているのか、それをじっと見続
けることはものすごく大変なことだ。ほんのわずかな振舞いから何をしよう
としているのかを読み取り、そこで何を邪魔だと思っていのか、どこから先
は手助けをしてやらなくてはいけないのかを常に考え続けなければならない。
あれをやれ、これをやれと指図してもいいのだったら、これほど楽なことはない。

モンテッソーリ教育の幼稚園を卒業した子供が小学校に行って、口々に言う
ことは「小学校は楽だ」ということ。「椅子にすわって教師の言うことを聞
いて、その通りにやればいいのだからこれほど楽なことはない」と言うのだった。


実際のところ、このような教育が可能な期間は限られるだろう。現在モンテッ
ソーリ教育を行っているのは主に小学校前である。実際のところそれ以上の
教育においてモンテッソーリ教育を採用していたところはあったようである。
日本ではないが、大学教育にモンテッソーリ教育を採用したところもあった
らしい。

しかし逆に言えば、いままでモンテッソーリ教育で育ってこなかった人が、
いきなりそこにほうりこまれたら、逆に苦労するだろう。ということであれ
ば、小学校前からずっとモンテッソーリ教育を受け続けるということになる。

実際、何を勉強するべきかはあなたが決めることだ、というのは最も教える
のが難しかったことであり、いきなり大学生になってからそれについて考え
はじめろというのは非常に無理があるだろう。


モンテッソーリ教育では、子供が行っている自発的な行為を「仕事」と表現
する。「まだ仕事が途中の人は、どうぞ終りまで続けてください」というよ
うに。普通の言葉で言うなら、それは「遊び」である。

この言葉はとても違和感がある。時にそれはものすごく感情的な反応を呼び
起こす。「この子供がやっていることははただの遊びじゃん。どこが仕事な
わけ? 仕事っていうのはもっと真剣にやるもののことなんだよ」などといっ
た感じに。

しかしふりかえって思うことは、なぜここでこのような感情的な反応が生れ
るのだろうか。それが意味することは、逆に普通の文脈で仕事といってやっ
ていることも、実はかならずしも意味がある動作ばかりではないということ
が示唆されているからではないだろうか。

猿の集団の行動は、時にあまりにも興味深い。例えば若いオス猿が何匹か集
まって、外敵がこないかどうかを監視するために群から離れて周辺に行く。
でも実はそこでは単にオス同士でつるんで遊んでいるだけなのであった。

子供が真剣に紙に向ってお絵描きしている様子を「仕事」と表現するのはた
しかに違和感がある。しかし逆に、どこからその違いが生まれてくるのだろ
うか。おそらく「俺が仕事をしてお金をかせいでいるから家族が生活してい
けるんだ。お金を稼がないなら仕事じゃない」という意識があるのだろう。

ではそこでは一体なにがお金を稼いでいるんだろうか。あなたがやった仕事
とそれによってもらえるお金とにはどのような関係があるんだろうか。たし
かに文字を書いたり数字を左右させたりするかもしれない。しかしそれはど
のような理由から、お金をもらえる仕事として評価されるかのだろうか。


教育法としては他に、シュタイナー教育がよく知られている。この両者は同
じような部分もあるが、どちらかと言えばその指向としては正反対であり、
相容れない部分が多々ある。

例えばシュタイナー教育では、とがったもので紙の表面をひっかくことはよ
くない影響があるということで、小さいころは鉛筆のようなもので紙に物を
描かせるということはさせない。筆と水彩絵の具でモヤッとした絵を描くと
いうことをする。

シュタイナー教育とモンテッソーリ教育は、ものすごく単純化した二分類で
言えば、闇と光、芸術と理性、神秘性と合理性といった違いがある。
どちらかが良いというわけではなく、それは違うということなのだ。

あるホームページでアメリカにおけるシュタイナー教育とモンテッソーリ教
育とを比較していた。結局のところここに書かれている結論はとても正しい
ように思う。どちらでもない普通の教育を受けさせるということは、その両
者の悪い部分を結合した教育をうけさせるということであり、そのどちらか
を選ぶことになんらかの根拠を見出すことは難しく、現実的に言えば、どっ
ちでもいいからどこか入れるところに入るという結論におちつくだろうと。


このような情報が流れるチャンネルは非常に狭い。実際こういった情報のリ
アルな部分は、口コミでしか伝わらない。その後様々な形で調べてみたが、
かなり調べても、こういった個々の情報が集まっているところはみつからな
かった。これは一体どういうことを意味しているんだろうか。

最近こんな記事を読んだ。理想の教育を目指すべく、シュタイナー教育をと
りいれ、教科書もなく、勉強するべきことは自分で探すという小学校を作る
という試みがなされたようだ。それに対して文部省からの小学校という認可
はおりなかったと。文部省の定めた教育過程に沿わない教育は、義務教育と
しては認められない。この小学校の教育では義務教育を受けさせないという
ことになると。

たしかにそれはそうかもしれない。理想の教育を目指した結果、文部省の認
可がおりなくなったということであれば、それは単に無認可の教育施設とし
てやっていくしかない。しかし無認可の教育施設としてやっていくことは、
単に認められていないというだけではなく、様々な形で妨害にあうというこ
とだ。例えばそこに通う学生は、学割がきかなくなったりする、のだろうね。
そしてそんなことはどうでもいいくらいに、他にももっといやな妨害をうけ
たりするんだろうな。

重要なのは無認可の教育施設であっても対等に扱われるような環境を作るこ
とである。常にオルタナティブな選択肢があるということが、重要なことな
のである。

モガミ電線 http://www.mogami-wire.co.jp/index.html

http://www.mogami-wire.co.jp/sales/interface/3206.html
VESA規格 VGA・ケーブル
ケーブルの推奨最大使用連続長は、30m です。
アセンブリ 5082xx、単価 = @620/m X ケーブル長 + @7,500 (両端コネクタ込みの加工費)

  • 例えば10mのケーブルなら、13,700円になる。

NEGLEXの思想 http://www.mogami-wire.co.jp/company/products/neglex.html

「人間と測定器では、どこかが原理的に違うのです。そして、この違いこそ、
人類がこの多様な環境で生き残ってこれた理由でもあります。」
「周波数特性を顕微鏡で拡大して部分的に見たときの凸凹を問題にする」
「周波数特性の高次の微分を小さくするような設計」
「山全体の形がどのていど似ているかでなく、
そこに育つ個々の樹木がどれだけ似ているかを考えているという感じ」

オーディオケーブルの謎(B5 版, 128 ページ, 領布価格 1000 円)

  • 一部の製品は秋葉原の三栄無線さんや小柳出電気さん

2803超高解像度オーディオケーブル http://www.mogami-wire.co.jp/company/products/2803.html
「ツイステッド・ペア」の効能 http://www.mogami-wire.co.jp/puzzle/pzl-10.html

toglinfo

http://www.asahi-net.or.jp/~yw3t-trns/toglinfo/toglinfo.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~yw3t-trns/toglinfo/toglinfo102glut.exe

GeForce3でのtoglinfoの結果

toglinfo : glut Version 1.02 T.Teranishi


GL_VERSION: 1.2.2
GL_RENDERER: GeForce3/AGP
GL_VENDOR: NVIDIA Corporation
GL_MAX_ATTRIB_STACK_DEPTH: 16
GL_MAX_CLIP_PLANES: 6
GL_MAX_EVAL_ORDER: 8
GL_MAX_LIGHTS: 8
GL_MAX_LIST_NESTING: 64
GL_MAX_MODELVIEW_STACK_DEPTH: 32
GL_MAX_NAME_STACK_DEPTH: 128
GL_MAX_PIXEL_MAP_TABLE: 65536
GL_MAX_PROJECTION_STACK_DEPTH: 4

GL_MAX_TEXTURE_SIZE: 4096

GL_MAX_TEXTURE_STACK_DEPTH: 10
GL_MAX_VIEWPORT_DIMS: 4096 4096


GL_SUBPIXEL_BITS: 4
GL_POINT_SIZE_RANGE: 1.000000 63.375000
GL_POINT_GRANULARITY: 0.125000
GL_LINE_WIDTH_RANGE: 0.500000 10.000000
GL_LINE_WIDTH_GRANULARITY: 0.125000


GLU_VERSION: 1.2.2.0 Microsoft Corporation
GLU_EXTENSIONS: GL_EXT_bgra

XMLはマーケティング用語である。

XMLとは本質的にはSGMLそのものである。SGMLからあまり使われない機能を
削り、仕様を明確化したものである。XMLとは本質的に単にそれだけのもの
である。SGMLから理念として変化した部分は何一つ無い。

でももし「今、時代はXMLだ」と言ったとしたら「まぁたしかにそうかもな」
と思うかもしれないが、もし「今、時代はSGMLだ」と言ったとしたら「何言っ
てるんだ、このおっさん?」て思われるだけだ。

つまりXMLとはなにかというと「SGMLってすごくいいのに、いまでは古くさ
い印象になっちゃたよねぇ。でも、名前だけ変えたら今でも結構いけるんと
ちゃう?」ということである。

要するに、曙と婚約していた相原勇が、その後名前を変えて再登場してきた
ようなもんである。(あれ? もしかして言いすぎ?)

以前日経産業新聞の記事で、XML関係の会社の人が何人かでてきて語るとい
う記事があったのだが、その中である会社の人は、「XMLはマーケティング
用語である」と、はっきりとそう語っていた。それどころじゃなくその言葉
は大見出しになっていた。「おいおい、認めちゃだめじゃん」と思ったけど、
この認識は完全に正しいということがよくわかった。


で、でも実はだからXMLは全然ダメと言うつもりはない。そんなことはなく、
むしろきっちり推進するべきだと私は今でも思っている。とはいえXMLは本
質的にSGMLである。だったらむしろ、今からでも遅くないからSGML という
名前に戻して、それからもう一度仕切り直して取り組み直すべきじゃないだ
ろうか。

マーケティング用語が世界を滅ぼす、とまでは言わないが、本来技術のレベ
ルで考えるべきことが、目をくらまされることによって見えなくなってきて
しまうのは、問題である。たとえ技術者が技術のレベルにおいては理解して
いたのだとしても、本当によくわかっている技術者でも、回りの環境の無理
解に立ちむかうことはできない。

XMLが何か新しい技術であるかのように思われ、そこに技術革新が生まれる
かのような印象を与えているのは決定的にまずい。XMLは実はそんな技術じゃ
ない。XMLの本質はSGMLで、SGMLとは単に文章を標準化する際のある種の枠
組を与えているだけだった。

XMLと呼ばれるマーケティング的な取り組みでは、ここで文章と呼ぶものを
データ一般に拡張しようとしているが、それは無謀な取り組みである。
データ一般に摘要できるようなところまで考えられた枠組ではない。

例えばWordのドキュメントの保存形式がXML化するのはとても良いことだと
思う。XMLというのはまさしくそのようなところで使うべきものである。
Excelのドキュメントがそうなるのもまさしくいいだろう。

じゃぁ、Photoshopの保存形式がXMLになると思うか? 絶対にならないよな。
データ一般に摘要するには無理があるというのはそういうことだ。

で、微妙なところだけど、SOAPはどうよ? これはちょっとどうかと思ってる。
本質的にプログラムの実行というのは動的なものであって、そこにXMLはな
じまない。またネットワーク上のやりとりにおいてXMLを摘要することにも
なじまない。両者においては、状況の前提が高速に変化するからだ。

XMLというのはなんだかんだいって、長期保存するデータの構造化を目的に
考えだされたもんである。万能薬ではけっしてない。そこを誤解した
とりくみは、必然的に失敗するだろう。

直観的にそう思ってるだけなんだけどね。

Unixマガジン95年11月号(だったかな?)

昔僕がボストークで働いてたころ、五十嵐さんにインタビューされて、
Windows NTの感想について語ったことがある。Windows NT 3.51のころだ。
その記事は掲載されて、僕はそれを本屋で立読みしたのだが、買わなかった。
(なんで自分の記事が載ってるのに買わないのかね。)
オフィスの引越しでUnixマガジンのバックナンバーを全部捨ててしまうとい
うので、そういえば自分が載っていた号があったなと思って、その号だけも
らうことにした。

で、ひさびさに自分のインタビュー記事というやつを読んでみたわけですよ。
6年前の自分だ。昔の自分をふりかえったりするのは、えてしてものすごく
はずかしい。読む前にそれなりに覚悟しながら読んでみたのだけど、意外と
そんなにはずかしくもなかった。それなりに的を得た受け答えをしていた。
(もちろんインタビュー記事としてまとめる際の、五十嵐さんのまとめ方が
うまかったというのもある。)

そのころ感じていたUnixへの違和感、というよりもUnixへの嫌悪感と、
Windows NTは思ったよりもよくできてるという気持が、インタビューの中に
現れていたのが面白かった。五十嵐さんからの影響なんだけど。そのことか
らずっと感じていることは、Unixへの嫌悪感と、Macへの嫌悪感だった。

こういうことって時間がたつと文脈が剥奪されて背景が理解されなくなって
しまうのだが、それを感じていたのはWindows95が発売される前のことだった。
Windows95が発売されてからの毎日は、混乱の日々だった。
世界がWindows NTで統一されるのであれば、MicrosoftのOSもそんなに悪く
ないかも、と思っていたが、世界はさらに混乱を深めるばかりだった。
Windows95から連なる系列は、まさしく災厄でしかなかった。

そのころはUnixはSUNがあたりまえで、個人が使うコンピュータはMacがあた
りまえの時代だった。でも私は一人だけ、コンピュータはPCが最高でOSは
LinuxとWindows NTがあれば他はいらない、という主張を繰り返していた。

その後に私は今の財団にはいったのだが、そこはまさしくSUNとMacという環
境だった。PCは5台くらいしか無かったんじゃなかったっけ。でもMacは20台
くらいあったような気がする。

新しくMacを買うなんてばかげている、新しく買うならPCじゃなくちゃだめ
だという主張をくりかえしていたのだが、まぁ受け入れられることはなかった。
新しいソフトを買うにしても、まずMac版のソフトを買って、その後に
Windows版のソフトを買わか、結局買わないかだった。

必要なソフトを使うときはしょうがなくMacを使っていた。
そしてそのMacというやつは、僕が触ったときに限って固まるのだった。
なんで他の人が触るときは、そんなに固まらないわけ?
固まるたびに叩き壊そうかと思った。


いまでもMacには悪感情しか持っていないが、Mac OS Xがでてきてからは、
さすがにいいですな。というか懐かしい。なにもかも当時のあのままだよ。
ってもちろんNeXTですな。待ち状態のカーソルのアイコンが同じなんだよな。

だからMac OS Xは、自分じゃ全然使ってないけど、だれかがなにかに困って
いたら、ほぼその問題をソラで解ける。どこになんのファイルがあるのか、
いまだにほとんど覚えている。


NeXTの思い出っていろいろあるけどさ、やっぱり基盤の美しさでしょ。

NeXTの基盤は美しかった。本体の基盤もそうだったのだが、それ以上に、
拡張用のグラフィックボードが、とんでもなくすばらしくうつくしかったのだ。
基盤を見て感動したのは初めてだったよ。

あの基盤の美しさはいまだに忘れられないが、いまみたらどうなんだろうなぁ。
やっぱりきれいだと思うのかしらん。


ということで、Unixマガジン全部捨ててしまうので、欲しい人はさしあげま
すので連絡下さい。

ブラック・マウンテン・カレッジ

Blackmountain College
http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/artwords/a_j/blackmountain.html
1933年にノース・カロライナ州
「人々が共通の目的と責任を分かち合う共同体の確立と、
芸術の最も高度な長所が花開くような風土を創造すること」
J・アルバースやJ・ケージ、M・カニングハム、C・オルスン、R・ラウシェンバーグ、B・フラー
1952年には「コンサーテッド・アクション」
1956年に主に経済的な理由から閉鎖。
当時政治的に不穏な状況にあった西欧からの亡命者たちだった
http://www.dnp.co.jp/gallery/ccga/ca/josef/josef.html
http://www.geocities.com/kurubushi/SARU/saru34.html
「フラーはこのブラック・マウンテン・カレッジで、件のジオデシック・ドー
ムは発案され、学校を去ることには完成までこぎつけた。これは、フラーが
暮らしをたてていくのに、ぎりぎりのタイミングだった。フラーはそれまで
に何百もの紙の模型をつくっていた。」

ジョン・ケージ『小鳥たちのために』(青土社)

湯川秀樹対談集『科学と人間のゆくえ』(講談社文庫)

『湯川秀樹著作集 別巻 対談・年譜・著作目録』(岩波書店)

マ−ティン・ポ−リ『バックミンスター・フラー』(鹿島出版会)

「立花隆という人が、コマバ講義だとかで、バックミンスター・フラーにつ
いてでたらめなことを言っている(インターネットで読める)。この人のデ
タラメさは、ホラではなく、通説をなぞってみせるだけの「エセ批判精神」
に根ざしていて、害がある。

彼はそのドーム構造を利用してダイマクシオンという車・家を設計した。

順序関係がまったく逆である。」
http://www.hc.keio.ac.jp/~skazumi/studenten/bau-year.htm
http://anarchy.k2.tku.ac.jp/japanese/books/medianorogoku/m-009.html
http://member.nifty.ne.jp/tatsutoshi_kawamura/Cage/19940927.html

Black Mountain College

http://www.blackmountaincollege.org/
"Black Mountain College" "Walker Art Center"
David Tudor http://www.emf.org/tudor/About/pastactivities.html


http://www.nanjo.com/freight-train/
http://www.nanjo.com/
http://bienalsaopaulo.terra.com.br/capa.html

  • 文字がくるりと回るエフェクトが面白い。

有限会社フジ印刷 http://www1.ocn.ne.jp/~fpress/

〒276-0047千葉県八千代市吉橋1189-5 Phone.047-458-8100
フライヤー1000枚 11,000円、A1ポスター1枚 4,600円、送料740円、合計16,340円


http://www.erde702.com/osanpo/link/link.html
http://www.tcpc.co.jp/hagamei.html
http://www.tcpc.co.jp/hagameicyu2.pdf

http://www.carrot.to/

人形アニメ、または純粋さの幻影について

ウォレスとグルミットを最初にみたのは、あのペンギンをおいかけていくシー
ンだった。イベントかなにかで壁にプロジェクターでBGVとしてながされて
いたのをなんとなくながめてみたのだった。

私がそのシーンをはっきりと覚えているのは、壁紙が奇妙だったからだ。
高速に移動するキャラクターをカメラが追いかけるというシーンなのだが、
普通のカメラでとるとすれば、壁紙はぶれて激しいブラーがかかるはずだ。
しかしその壁紙はぶれていなかった。高速に回転する扇風機に連続してスト
ロボをあてると静止してみえるように、ほとんど動いていないように見えた。
二コマか三コマの切り返しのアニメだったように思う。
ものすごく早い移動のもつ疾走感と、しかし奇妙に静止して見える壁紙との
対比に、なんだか奇妙な感じをうけたのだった。

しかし、あの列車にのっていながら、その列車の走る手前にどんどん線路を
つぎたしていって、自分の進む線路を作っていくというシーンが、ものすご
く面白かった。

ということでストーリーはよくわからず、なんだか抽象的なシーンから成る
アニメなのかと思っていたが、実際はちゃんとしたストーリーをもった映画
なのだった。


第一作の、Grand day outがもっとも面白かったと思う。チーズのあるとこ
ろに旅行しよう。どこにしようか? 月にしよう。そして月旅行用のロケット
を作りはじめる。その飛躍は面白かった。なぜか月にいくと、パーキングメー
ターが壊れて動きだしたようなロボットがいる。そしてなぜか彼はスキーを
やりたいと思うようになるのだった。

もちろん月世界旅行へのオマージュがあるのだろう。ある部分はサンダーバー
ドからの影響もある。しかし全体としては人形アニメでしかありえない想像
力の飛躍があった。


でもその後はちょっとづつ変わっていった。
結局のところなにを言いたいかと言えば、Chicken Runはだめだったのだ。

二作目あたりから、過去の映画への引用は以前とくらべて大幅にとりいれら
れるようになってきた。もちろんそれでも面白かった。
Chicken Runではその集大成、過去の映画から大幅に引用されている。
というか引用だけから映画が構成されているといってよい。
残念ながら、そこにはもう人形アニメでしかありえない想像力の飛躍という
ものは失なわれている。

アメリカの資本がはいることからくる難しさだったのだろうか。


ヤン・シュワンクマイエルはシュールレアリストである。そう自称している。
彼が作る作品には常に政治に対する批判がこめられている。

ブラザーズ・クエイは、彼にオマージュをささげた作品「ヤン・シュワンク
マイエルの部屋」という映像をとっている。しかしヤン・シュワンクマイエ
ルは、ブラザーズ・クエイにたいして、「彼は単なるエスティシャンである。
単に美的であるにすぎない。」と評している。

ヤン・シュワンクンマイエルにとって本質的に大切だったことと、それが人
形アニメという表現にむかったことには、いったいどのような関係があった
のだろうか。


私は95年のSIGGRAPHを見にいった。そのフィルムショーを見るために映画館
の前で並んでいた。たまたま隣にいたアメリカ人女性と話をしていた。どう
見ても、普段は普通に主婦をやってますという感じの人だった。

そこで、あなたの一番好きな映画はなに? という話題になった。
「あなたはきっと知らないと思うのだけど、ブラザーズ・クエイの映画が一番好き。」
「いや知ってるよ。僕はジャン・リュック・ゴダールの映画が一番好き。」
「だれそれ? 知らないわ。」
という会話をしていた。一番好きな映画がブラザーズ・クエイというアメリ
カ人女性って、一体なんなんだったのだろうと思った。


「ぼくらと遊ぼう」
2.5次元アニメ。でてくる二匹のクマが見た目にとてもかわいい。
でも実はけっこうおっさんの役で、おっさんなんだけど幼いクマが、
二人で珍道中をくりひろげるというもの。弥次喜多珍道中みたいな感じですね。
も〜すこしかわいらしい感じでもよかったのではないか。
http://plaza19.mbn.or.jp/~rencom/Pojdte/Pojdte_top.htm

「パットとマット」
なにかちょっとした悪い事件がおこるのだが、それがどんどん拡大していく。
人形アニメらしく、事態はどんどん悪い方向へ大きくなっていて、
ついには全体が崩壊する、といった感じに話は飛躍する。
初めは雨漏りからはじまるのだが、それをなおそうといろいろ努力していると、
こんどはこっち、こんどはこっちという風にあちこち壊れはじめ、
ついには家まるごとたおえれてしまう。
http://plaza19.mbn.or.jp/~rencom/chesky99/ch99p&ms.htm

こういった話のもっていき方は、いろいろと共通する映画は多い。
事態はいったいどこまで悪くなれるのかという想像力の拡大は興味深い。
ICE AGE http://www.apple.com/trailers/fox/ice_age/

「チェブラーシカ」
バッタリたおれ屋さんという名前を持つ、クマだかリスだかわからない小動物が、
ワニのギエナと元KGBのシャパクリャクとくりひろげる珍道中。
あまりにかわいいので感想は略。
http://www.cheb.tv/

Illustrator9の謎

分割を要するアートワークが書類に含まれています

http://board.allabout.co.jp/board+whole+dtp.abc?seq=3

塗りにオーバープリント

http://www.adobe.co.jp/webstudio/illustrator/illoppreview/main.html
DTP迷宮伝説
http://www.asahi-net.or.jp/~fz6t-sby/DTP/Labyrinth3/IL_Overprint_Detect.html
http://www.shinmai.co.jp/koukoku/guide/color/main.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~fz6t-sby/DTP/Labyrinth3/IL_Overprint_Detect.html
オーバープリント検出用プラグイン
http://www.asahi-net.or.jp/~fz6t-sby/DTP/Labyrinth3/IL_Overprint.html

トリムマーク

http://www.ea-r.com/post_card/torimu.html

トンボ トリムマーク

http://www.kanpuri.co.jp/parts/true_mac.htm

  • トンボはトリムマークで作成し、CMYK各100%にして下さい。
  • 不要なアンカーポイント(孤立点)が残っていませんか?

(編集→選択→孤立点で選択できます)

  • 線の太さは、0.75Point以上を指定して下さい。

EPSON 印刷品質 スーパーファイン フォト

http://www.i-love-epson.co.jp/products/download/printer/750ref.pdf
「ファイン」:360DPI
「スーパーファイン」:720DPI
「フォト」:1440×720DPI

3D mouse

microstrain

http://www.microstrain.com/index.cfm
http://www.microstrain.com/3DM.html
3DM MicroStrain US$695.00

3DM MicroStrain

http://www.creact.co.jp/jpn/j_n_m_strain.htm
http://www.creact.co.jp/jpn/j_n_3dm.htm

Tokin MDP-A3U7

キーをしらべる。

HKEY_CLASSES_ROOT\CLSID\{59F99DD1-ABBF-11D2-ACE7-004854002478}{{br}} Tk3dInput Class
Tokin.Tk3dInput
HKEY_CLASSES_ROOT\Tokin.Tk3dInput
HKEY_LOCAL_MACHINE\SYSTEM\ControlSet001\Control\Class\{4D36E96C-E325-11CE-BFC1-08002BE10318}\0028
HKEY_LOCAL_MACHINE\SYSTEM\ControlSet001\Enum\USB\Vid_079e&Pid_0263\5&e659a72&0&1

Apache

Apacheで名前ベースの設定で手間取ったが、versionが古いからだった。
1.3.9を使っていたのだが、1.3.23にupした。
やはり古いバージョンだとあれこれうまくいかないようだ。


http://localhost/manual/vhosts/

  • このversionでやってみたら、すんなりうまくいったから、apacheのversionの

問題であるようだ。最新にあげてみよう。


http://www.apache.org/dyn/closer.cgi
http://ring.asahi-net.or.jp/archives/net/apache/dist/
http://ring.asahi-net.or.jp/archives/net/apache/dist/httpd/apache_1.3.23.tar.gz

ApacheのVirtualHostがうまくいかない。

apacheのVirtualHostで、IPアドレス共有型について考えるべし。

NameVirtualHost

●●http://snap.shot.cx/ZWiki/NameVirtualHost

http://japache.infoscience.co.jp/japanese_1_3/manual/vhosts/name-based.html
http://www.ki.nu/software/NetBSD/apache.shtml


http://linux.nikkeibp.co.jp/faq/200008-2.org.html
http://www.atmarkit.co.jp/flinux/rensai/apache08/apache08b.html

http://www.logistech.co.jp/vif/virtual-host-jp.html

http://httpd.apache.org/docs/vhosts/name-based.html
http://linux.nikkeibp.co.jp/faq/200008-2.org.html
http://www.atmarkit.co.jp/flinux/rensai/apache08/apache08b.html

http://www.logistech.co.jp/vif/virtual-host-jp.html

Last modified: 2006-09-05